記録映画「きこえなかったあの日」
聴覚障害者の映画監督が想いを込めた映像の蓄積が訴えるものが心に響く
今村彩子監督は、聴覚障害者であり、当事者としての視点でドキュメンタリーを作り続けている。彼女が2011年3・11の東日本大震災の被災地で、聴覚障害者の人々を取材しはじめてからの蓄積を生かしたものが今回の記録映画「きこえなかったあの日」である。
そこでは、東日本大震災の以降に、その教訓を生かした取組みも記録されている。豪雨の被災地の広島で、聴覚障害者のボランティア部隊が障害者当事者の被災宅を助ける様子が記録されている。こうした映像の集約は今村監督にしか成し得なかった貴重なものである。「難聴と言ったらボランティアを断られたことも…」という女性が被災地での支援活動の思いを語るエネルギッシュな表情が印象深い。そうした活動に参加した障害当事者のパワーに触発される。
この流れのなかで、手話という聴覚障害者の「言語」が行政レベルで正式に位置づけられるステップも描かれている。それは、度重なる災害の中で、情報を得られず辛い苦労をしてきた人々の痛みを受けて、全国各地で運動を推進してきた努力の結果である。
このプロセス、そこで得られたもの、いまだに足りないもの――それを問い直す重要な議論の素材とも言える。
「聞こえない」ことが如何なるバリアなのかを知ると同時に、小さく優しい努力でバリアを越えたコミュニケーションが成立し、心温まる交流が広まることを教えてくれる。
そして今、コロナ禍のもと、全ての人間が厄災の被災者となり、様々な苦境に立たされている。「被災」がひとつの地域(街)にとどまらない事態となって「他人事」では済まされない時代に、「共助」の意味が深く問われている。
チラシのメッセージ==『東日本大震災直後に宮城を訪れた今村彩子監督が抱いたのは「耳のきこえない人たちが置かれている状況を知ってほしい」という痛切な思いだった。あれから10年---。手話言語条例の制定が進み、知事の会見に手話通訳がついたり、一部の市町村では役所や公共施設に手話通訳が配置されたりするようになった。日本各地で起こった様々な災害現場でも、手話で会話ができる福祉避難所や、絵や文字による情報保障、そして、ろう・難聴者による災害ボランティアなど、これまで見られなかった新しい動きが生まれていた。2013年に『架け橋 きこえなかった3.11』を発表した今村監督は、現在も宮城に通い、熊本地震、西日本豪雨、新型コロナウイルスの流行といった困難の渦中にいる耳のきこえない人たちの姿を記録し続けている。みんなが安心して暮らせるその日まで---。今村監督がみつめた、耳のきこえない人たちと災害、その10年の記録。』
【2021/116分】[2021年2月27日より新宿K ‘s cinemaで封切し全国順次公開/全国一斉インターネット配信スタート]
今村彩子監督は、聴覚障害者であり、当事者としての視点でドキュメンタリーを作り続けている。彼女が2011年3・11の東日本大震災の被災地で、聴覚障害者の人々を取材しはじめてからの蓄積を生かしたものが今回の記録映画「きこえなかったあの日」である。
そこでは、東日本大震災の以降に、その教訓を生かした取組みも記録されている。豪雨の被災地の広島で、聴覚障害者のボランティア部隊が障害者当事者の被災宅を助ける様子が記録されている。こうした映像の集約は今村監督にしか成し得なかった貴重なものである。「難聴と言ったらボランティアを断られたことも…」という女性が被災地での支援活動の思いを語るエネルギッシュな表情が印象深い。そうした活動に参加した障害当事者のパワーに触発される。
この流れのなかで、手話という聴覚障害者の「言語」が行政レベルで正式に位置づけられるステップも描かれている。それは、度重なる災害の中で、情報を得られず辛い苦労をしてきた人々の痛みを受けて、全国各地で運動を推進してきた努力の結果である。
このプロセス、そこで得られたもの、いまだに足りないもの――それを問い直す重要な議論の素材とも言える。
「聞こえない」ことが如何なるバリアなのかを知ると同時に、小さく優しい努力でバリアを越えたコミュニケーションが成立し、心温まる交流が広まることを教えてくれる。
そして今、コロナ禍のもと、全ての人間が厄災の被災者となり、様々な苦境に立たされている。「被災」がひとつの地域(街)にとどまらない事態となって「他人事」では済まされない時代に、「共助」の意味が深く問われている。
チラシのメッセージ==『東日本大震災直後に宮城を訪れた今村彩子監督が抱いたのは「耳のきこえない人たちが置かれている状況を知ってほしい」という痛切な思いだった。あれから10年---。手話言語条例の制定が進み、知事の会見に手話通訳がついたり、一部の市町村では役所や公共施設に手話通訳が配置されたりするようになった。日本各地で起こった様々な災害現場でも、手話で会話ができる福祉避難所や、絵や文字による情報保障、そして、ろう・難聴者による災害ボランティアなど、これまで見られなかった新しい動きが生まれていた。2013年に『架け橋 きこえなかった3.11』を発表した今村監督は、現在も宮城に通い、熊本地震、西日本豪雨、新型コロナウイルスの流行といった困難の渦中にいる耳のきこえない人たちの姿を記録し続けている。みんなが安心して暮らせるその日まで---。今村監督がみつめた、耳のきこえない人たちと災害、その10年の記録。』
【2021/116分】[2021年2月27日より新宿K ‘s cinemaで封切し全国順次公開/全国一斉インターネット配信スタート]
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